自衛隊の沖縄駐屯(ヤマト軍の再進駐)から50年の歩み、宮古や八重山では自衛隊基地建設が強行され米軍との一体化が進み、沖縄の島々が最前進基地に。
- 2021/01/18
- 13:10
Ryukyuheiwaより:
沖縄でも、自衛隊基地が所在する市町村が「自衛隊の城下町」となりつつある、、、

1月18日の沖縄タイムス紙面

1月17日の琉球新報紙面

1月16日の沖縄タイムス紙面
1月15日 NHK 沖縄NEWS WEB
那覇市長が陸自成人式に初祝辞
陸上自衛隊の那覇駐屯地で開かれた新成人の隊員を祝う式に初めて那覇市長から祝辞が寄せられました。
陸上自衛隊那覇駐屯地で開かれた式には、ことし成人した隊員85人のうちおよそ40人が出席しました。
那覇駐屯地の新成人の隊員をめぐっては、昭和47年の駐屯地設立当初は那覇市が、主催する成人式に参加しないよう呼びかけたことがあったほか、平成12年=2000年までは労働組合などが参加に反対する運動を行っていました。
こうした経緯などもあり、駐屯地が主催する新成人の隊員を祝う式に那覇市長から祝辞が寄せられたことはありませんでしたが、今回初めて寄せられました。
城間市長は動画で寄せた祝辞で「日本の将来を担う頼もしい人材であるみなさんの活躍を心から期待しています」と述べました。
この後、新成人の代表が「部隊の任務遂行に貢献できるよう強じんな体力を身につけるとともに、私生活では、自分の行動に責任と自覚をもちたい」と抱負を述べました。
那覇市長から初めて祝辞が寄せられたことについて、那覇駐屯地の嶋本学司令は「駐屯地設立当初のころは、成人した隊員がすべて祝福されるような状況ではなかったが、同じ地域で同じ時間を過ごし、われわれの任務を理解してもらった結果だと思う」と話していました。
陸上自衛隊の那覇駐屯地は、沖縄返還の年と同じ昭和47年に現在の場所に創設されました。
当時は自衛隊に反対する地元感情が強く、新成人の隊員は駐屯地内で行われた成人式に参加する事はできましたが、那覇市が主催する式には住民登録を拒否されるなどしたため参加が難しくなっていました。
昭和50年前後には、那覇市の教育長からトラブルを避けるためという理由で「地域の成人式への参加を辞退してほしい」と実質的に参加が拒否されることもありました。
このため那覇地方法務局が人権問題として調査する事態にもなりました。
昭和54年からは那覇市が新成人の隊員に成人式への招待状を送るようになりましたが、式の会場周辺などでは労働組合などの反対運動が毎年行われ、平成12年=2000年まで続きました。
那覇駐屯地も自衛隊に反対する地元感情に配慮して、駐屯地内で行っていた成人式に正式には、那覇市長を招待していませんでしたが、最近になって招待を続けていて、ことし動画という形で初めて那覇市長から祝辞が寄せられました。
沖縄の市町村がこのようにならないように!!
必見!!1月4日の西日本新聞(WEB版より)
①図書購入費、医療費補助に…暮らしに染みこむ「防衛マネー」の正体は
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/678783/

②米軍機容認で給食費丸抱え 岩国への“土産”「菅氏がゴーサイン」
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/678773/
③「つかみ金乱発」「使途拡大」防衛マネー、国会で過去にも問題視
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/678775/
「自衛隊の沖縄駐屯から50年の歩み」沖縄タイムスの特集記事
実態は同じ軍隊なのだが、「旧日本軍と自衛隊は違うんだ」と、捨て石にされた「沖縄戦」の記憶を払しょくするための50年を超える宣撫活動が功を奏して今や沖縄でも、デニー知事を始め「オール沖縄」のみならず「革新勢力」をも懐柔し「自衛隊容認」に。
今や、宮古や八重山では自衛隊基地建設が強行され米軍との一体化が進み、沖縄の島々が最前進基地に。
今度は米軍の戦争の捨て石に沖縄がされようとしている!!
4年前から受け入れに向けた環境造りが県内で、
今も続く、毎度おなじみの「ふれあいコンサート」「雪のプレゼント」「戦闘服の自衛隊員による小中学校での防災講座」「部活指導」「不発弾処理」「廃油ボール処理」「防災訓練」などなど、、

1月8日の沖縄タイムス紙面



1月4日の沖縄タイムス紙面

1月5日の沖縄タイムス紙面

1月6日の沖縄タイムス紙

1月10日の沖縄タイムス紙

1月11日の沖縄タイムス紙

1月12日の沖縄タイムス紙
沖縄でも、自衛隊基地が所在する市町村が「自衛隊の城下町」となりつつある、、、

1月18日の沖縄タイムス紙面

1月17日の琉球新報紙面

1月16日の沖縄タイムス紙面
1月15日 NHK 沖縄NEWS WEB
那覇市長が陸自成人式に初祝辞
陸上自衛隊の那覇駐屯地で開かれた新成人の隊員を祝う式に初めて那覇市長から祝辞が寄せられました。
陸上自衛隊那覇駐屯地で開かれた式には、ことし成人した隊員85人のうちおよそ40人が出席しました。
那覇駐屯地の新成人の隊員をめぐっては、昭和47年の駐屯地設立当初は那覇市が、主催する成人式に参加しないよう呼びかけたことがあったほか、平成12年=2000年までは労働組合などが参加に反対する運動を行っていました。
こうした経緯などもあり、駐屯地が主催する新成人の隊員を祝う式に那覇市長から祝辞が寄せられたことはありませんでしたが、今回初めて寄せられました。
城間市長は動画で寄せた祝辞で「日本の将来を担う頼もしい人材であるみなさんの活躍を心から期待しています」と述べました。
この後、新成人の代表が「部隊の任務遂行に貢献できるよう強じんな体力を身につけるとともに、私生活では、自分の行動に責任と自覚をもちたい」と抱負を述べました。
那覇市長から初めて祝辞が寄せられたことについて、那覇駐屯地の嶋本学司令は「駐屯地設立当初のころは、成人した隊員がすべて祝福されるような状況ではなかったが、同じ地域で同じ時間を過ごし、われわれの任務を理解してもらった結果だと思う」と話していました。
陸上自衛隊の那覇駐屯地は、沖縄返還の年と同じ昭和47年に現在の場所に創設されました。
当時は自衛隊に反対する地元感情が強く、新成人の隊員は駐屯地内で行われた成人式に参加する事はできましたが、那覇市が主催する式には住民登録を拒否されるなどしたため参加が難しくなっていました。
昭和50年前後には、那覇市の教育長からトラブルを避けるためという理由で「地域の成人式への参加を辞退してほしい」と実質的に参加が拒否されることもありました。
このため那覇地方法務局が人権問題として調査する事態にもなりました。
昭和54年からは那覇市が新成人の隊員に成人式への招待状を送るようになりましたが、式の会場周辺などでは労働組合などの反対運動が毎年行われ、平成12年=2000年まで続きました。
那覇駐屯地も自衛隊に反対する地元感情に配慮して、駐屯地内で行っていた成人式に正式には、那覇市長を招待していませんでしたが、最近になって招待を続けていて、ことし動画という形で初めて那覇市長から祝辞が寄せられました。
沖縄の市町村がこのようにならないように!!
必見!!1月4日の西日本新聞(WEB版より)
①図書購入費、医療費補助に…暮らしに染みこむ「防衛マネー」の正体は
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/678783/

②米軍機容認で給食費丸抱え 岩国への“土産”「菅氏がゴーサイン」
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/678773/
③「つかみ金乱発」「使途拡大」防衛マネー、国会で過去にも問題視
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/678775/
「自衛隊の沖縄駐屯から50年の歩み」沖縄タイムスの特集記事
実態は同じ軍隊なのだが、「旧日本軍と自衛隊は違うんだ」と、捨て石にされた「沖縄戦」の記憶を払しょくするための50年を超える宣撫活動が功を奏して今や沖縄でも、デニー知事を始め「オール沖縄」のみならず「革新勢力」をも懐柔し「自衛隊容認」に。
今や、宮古や八重山では自衛隊基地建設が強行され米軍との一体化が進み、沖縄の島々が最前進基地に。
今度は米軍の戦争の捨て石に沖縄がされようとしている!!
4年前から受け入れに向けた環境造りが県内で、
今も続く、毎度おなじみの「ふれあいコンサート」「雪のプレゼント」「戦闘服の自衛隊員による小中学校での防災講座」「部活指導」「不発弾処理」「廃油ボール処理」「防災訓練」などなど、、

1月8日の沖縄タイムス紙面



1月4日の沖縄タイムス紙面

1月5日の沖縄タイムス紙面

1月6日の沖縄タイムス紙

1月10日の沖縄タイムス紙

1月11日の沖縄タイムス紙

1月12日の沖縄タイムス紙
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