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翁長雄志知事が死去、最後まで辺野古新基地反対貫く。9月にも県知事選挙。

Ryukyuheiwaより:


関連記事:7月27日、翁長沖縄県知事は辺野古埋め立て承認撤回を表明。
http://ryukyuheiwa.blog.fc2.com/blog-entry-644.html


翁長さん安らかにお眠りください。翁長さんの意志を継いであきらめずに闘い抜きましょう!

早まった知事選に、大事な石垣市議選、名護市議選を埋もれさせずに闘い抜き勝利を!
どさくさにまぎれた宮古島保良の弾薬庫着工を決して許してはなりません!



8月9日 琉球新報
翁長さん悼み、ゲート前でも黙とう

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8日に亡くなった沖縄県知事、翁長雄志さんへ黙祷をささげる市民ら=9日午前8時、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前
 
沖縄県知事の翁長雄志さんの死去から一夜明けた9日午前8時、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前では翁長さんの死を悼み、新基地建設に反対する市民らが約1分間、黙祷した。

6日から始まった集中行動期間の4日目となるこの日は、午前8時40分現在、100人近くの市民らがゲート前に集まり、抗議している。

あいさつに立った沖縄平和運動センターの山城博治議長は「必ずや回復して元気な翁長節を発信してくれると期待していただけに残念でならない。翁長さんの無念をかみしめ、残された者が頑張るという決意を固める日にしたい」と語った。

雲が広がる蒸し暑い空気の中、翁長さんの思いを引き継ごうと呼び掛ける言葉が飛び交っていた。


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8月9日の琉球新報紙面

8月9日 琉球新報
社説:翁長知事が死去 命懸けで職務を全うした

膵臓(すいぞう)がんの治療を続けていた翁長雄志知事が8日、死去した。67歳だった。4月に手術を受けたが、がん細胞が肝臓に転移していたという。心から冥福をお祈りしたい。
 
翁長氏は、名護市辺野古沿岸の新基地建設阻止を公約に掲げ、2014年の知事選で36万票余りを獲得し初当選した。復帰後7代目の知事だ。
 
就任直後から基地建設を強行する政府と全面的に対立してきた。さまざまな心労、疲労が積み重なったのだろう。
 
前知事による辺野古埋め立て承認の撤回を、7月27日に表明したばかりだった。がんの苦痛を押して記者会見に臨んだと思われる。文字通り、命懸けで政治家の職務を全うした。
 
もとより、沖縄県の知事は他県とは比較にならないほど厳しい重圧にさらされる。国土の0・6%にすぎない県土に全国の米軍専用施設面積の70%が集中し、凶悪事件や米軍機の墜落といった重大事故が繰り返されてきたからだ。
 
歴代の沖縄県知事はことごとく、過重な基地負担という深刻な課題に向き合い、苦悩してきた。その重みは健康をむしばむほど過酷だ。
 
屋良朝苗氏から革新県政を引き継いだ第2代知事の平良幸市氏は山積する政治課題の処理に追われる中、1978年7月、東京に公務出張中、脳血栓で倒れた。入院を経て同年10月に辞任している。
 
第3代の西銘順治氏も84年に都内の病院で胃がんの手術を受けた。当時は胃潰瘍と胆のう炎と発表され、本人にもがんであることは知らされていなかったという。
 
第4代の大田昌秀氏は92年の2月定例県議会開会中に風邪やめまいの症状が出るなど体調を崩して入院した。51日後に公務復帰している。
 
第5代の稲嶺恵一氏は入院こそしなかったが、基地問題のことが常に頭を離れず、日々大きな精神的重圧にさらされていたと語っている。
 
第6代の仲井真弘多氏も、07年6月23日の沖縄全戦没者追悼式に出席した直後に、軽い脳梗塞のため緊急入院している。
 
翁長氏は機会あるごとに「辺野古に新基地は造らせない」と言い続けた。志半ばで病に倒れ、さぞかし無念だったことだろう。
 
知事職務代理者は、謝花喜一郎副知事に続いて、富川盛武副知事が務める。9日には辺野古沿岸部の埋め立て承認の撤回に関し、沖縄防衛局側の言い分を聞く「聴聞」が控えている。まずは、基地問題への対応を含め、県政運営に混乱を来さないよう万全の態勢を取ってほしい。
 
現職知事の死去に伴う知事選挙は50日以内に行われる。既に自民党など野党が推す宜野湾市長・佐喜真淳氏らが出馬を表明している。今後、与党側の後継候補人選が本格化する。どのような対決構図になるにせよ、基地問題に真正面から向き合い選挙戦を展開してもらいたい。

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8月9日の沖縄タイムス紙面

8月9日 沖縄タイムス
社説:翁長雄志知事急逝 命を削り公約守り抜く

翁長雄志知事が8日夕、膵臓(すいぞう)がんのため、入院中の浦添市内の病院で急逝した。67歳だった。

そのわずか1時間半ほど前、謝花喜一郎副知事が県庁で記者会見し、知事の職務代理を置くことを発表したばかりだった。

あまりにも突然の訃報というしかない。

翁長知事は4月に膵臓の腫瘍の摘出手術を受け、ステージ2の膵臓がんだったことを公表していた。5月に退院した後は、抗がん剤治療を受けながら県議会や慰霊の日の式典など公務をこなしてきた。

しかし新基地建設を巡り埋め立て承認撤回を表明した7月27日の会見以降、公の場には姿を見せていなかった。がんは肝臓にも転移し、7月30日に再入院していたという。

糸満市摩文仁で開かれた慰霊の日の沖縄全戦没者追悼式で、知事は直前までかぶっていた帽子を脱ぎ、安倍晋三首相を前にして、声を振り絞って平和宣言を読み上げた。

「新基地を造らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」

翁長知事は在任中の4年間、安倍政権にいじめ抜かれたが、この姿勢が揺らぐことはなかった。安易な妥協を拒否し、理不尽な基地政策にあらがい続ける姿勢は、国際的にも大きな反響をよんだ。

知事は文字通り命を削るように、辺野古反対を貫き、沖縄の自治と民主主義を守るために政府と対峙(たいじ)し続けたのである。

その功績は末永く後世まで語り継がれるに違いない。心から哀悼の意を表したい。

翁長知事は政治家一家で育った。

旧真和志村長だった父助静さんは、軍用地の一括払いなどを巡る「島ぐるみ闘争」の超党派代表団に選ばれ、沖縄の声を全国に伝えた。

元副知事の兄助裕さんは、1994年の知事選に立候補し「保革を超え、県民の心を一つにした県政を」と訴えた。

翁長知事は父親や兄から保守中道の姿勢を受け継ぎ、県民が心を一つにして基地問題に取り組むことが必要だと説き続けた。

仲井真弘多前知事が2010年11月、再選を期して立候補した時、辺野古反対を公約に掲げるよう仲井真氏に直談判したのは翁長知事である。

4年前の知事選では翁長氏が仲井真氏に10万票近い大差をつけて当選、保革を超えた新しい政治潮流の台頭に全国から多くの期待が寄せられた。

公選法により後継を選ぶ知事選は、県選挙管理委員会に死亡を通知後、50日以内に実施される。9月中となる見込みだ。

県政奪還を狙う自民党県連などでつくる候補者選考委員会は既に宜野湾市の佐喜真淳市長の擁立を決めている。

県政与党や知事を支える県選出国会議員、オール沖縄の代表は、一日も早く今後の対応を協議し、志半ばに倒れた翁長知事の遺志を受け継ぐ後継候補を決めなければならない。

県内政治の流動化が一気に加速しそうだ。


8月9日 沖縄タイムス
大弦小弦:生粋の保守政治家だった翁長雄志知事の転機は

生粋の保守政治家だった翁長雄志知事の転機は2013年1月、那覇市長として参加したオスプレイ配備撤回を求める東京行動だったのではないか。「沖縄の総意」を示そうと銀座をパレードした県内全市町村長らが、沿道から「売国奴」「琉球人は日本から出て行け」などの罵声を浴びた。

東京のど真ん中で体感したむき出しの沖縄差別に「衝撃を受けた」という。翌年の知事選に「イデオロギーよりアイデンティティー」を掲げて出馬した際、動機の一つとして繰り返し語っていた。

政府と鋭く対立して一歩も引かなかった背景にはあの日の屈辱があったはずだ。15年、辺野古新基地建設反対の県民大会での「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー」の言葉は多くの県民の心に響いた。

6月の県議会でやせ細った姿で懸命に机の縁につかまって歩いていた。本来は治療に専念すべき病状だったのだろう。

7月27日の埋め立て承認撤回を表明した会見。基地建設阻止の公約の実現性を疑問視する質問に一瞬笑みを浮かべ、気色ばんで反論した。「何十年先も沖縄は振興策をもらって基地を預かったらいいですよ、などというのはとても容認できない」。最後の公の場となった

沖縄の知事が在任中に亡くなったのは初めて。志半ばでこの世を去った無念さは想像に余りある。ご冥福を祈りたい。



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8月9日の八重山毎日紙面 西表(竹富町)の方より

8月9日 八重山毎日
翁長雄志知事死去 党派超え、沖縄に尽くす

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石垣市長選の街頭演説であいさつする翁長雄志知事=3月3日夕、石垣市内

「悔しい」と深い悲しみ 辺野古反対、最後まで貫く
 
米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設の反対派の象徴的存在だった沖縄県知事の翁長雄志氏が8日、死去した。67歳だった。4月に膵臓(すいぞう)がんの切除手術を受け、治療しながら公務を続けていたが、7日に体調が急変し、意識混濁の状態となっていた。
 翁
長雄志知事が八重山を最後に訪れたのはことし3月3日の石垣市長選告示日前日。翌4日にかけ、応援弁士としてマイクを握り、「1票差でも必ず勝つことが石垣市の平和な街づくりを引き継ぐことになる」と訴えていた。平得大俣への陸自配備計画が大きな争点となる中、この問題には一切触れず、保守系の内面が垣間見えたが、それでも県知事選で民意を勝ち取った米軍普天間飛行場の辺野古移設反対には最期まで意思を貫き通した。
 
「とにかく残念としかいいようがない」。
 
県政与党の一員として翁長知事を支えてきた次呂久成崇県議は開口一番、声を落とした。3月の市長選では選対本部長として翁長知事を迎えている。
 
「僕の車の中で2時間くらい話をした。なぜ翁長知事が政治家になったのか、なぜ僕が政治家を志したのか、いろんな話をさせてもらった。大変な時期だけど頑張れ、気軽に相談に来いと言われ、政治家として人として温かみのある人だな思った」と振り返る。
 
「今は辺野古問題で踏ん張りどころ。本当に必要な人だった。僕たちが知事の意思を引き継いで戦っていくしかない。歯を食いしばるしかない」と辺野古移設阻止に決意を新たにした。
 
県政の最重要課題である辺野古問題に忙殺されていたためか、八重山など離島に足を運ぶ機会は少なかった。「離島を軽視している」と批判を展開してきた前県議の砂川利勝氏は「立場の違いはあるが、政治家として死ぬまで頑張ったことはすごいことだと思う」と敬意を表し、「心労もあったのだと思う。沖縄のために頑張ったことは評価されると思う」と気遣った。
 
元石垣市議会議長の入嵩西整氏は「素晴らしい国家観を持っていた。『オール沖縄』という新しい政治をつくってくれた。志半ばで亡くなったことは沖縄にとって惜しい人を亡くしたことになる。残念でならない」と話した。
 ことし3月の市長選で支援を受けた宮良操氏は「自分の命を削りなら沖縄の自立と平和を確立しようとした人であった。知事選では死に物狂いで戦うつもりだったが…」と声を落とした。
 
市議、県議として長い付き合いのある元県議会議長の髙嶺善伸氏は「昭和25(1950)年の同期で、いっしょに政治家を志し、励まし合ってきた。知事選では、沖縄対政府という構図の中で受けて立つという覚悟を持って戦った。最終的には命をすり減らして責任を全うした。沖縄のために命をささげた。党派や政党を超えた過去にない政治家だと思う。悔しい、悔しい」と声をつまらせた。

8月8日 NHK 沖縄 NEWS WEB



翁長知事が死去

沖縄のアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設反対を訴えて、国と激しく対立してきた沖縄県の翁長知事が8日、亡くなりました。67歳でした。

翁長知事は那覇市出身で、那覇市議会議員や沖縄県議会議員を経て、平成12年から那覇市長を務めたあと、平成26年の県知事選挙に立候補し、保守系と革新系の勢力で作る、いわゆる「オール沖縄」という勢力の支援を受けて、初当選しました。

そして翁長知事は、普天間基地の名護市辺野古への移設阻止を最重要課題に掲げて、移設を進める国と激しく対立し、平成27年には、前知事による辺野古の埋め立て承認を取り消して、国と県が法廷で争う異例の事態になりました。

おととし12月、最高裁判所が埋め立て承認の取り消しは違法だとする判決を言い渡して県の敗訴が確定しましたが、その後も辺野古への移設阻止を訴え続け、先月には、前知事が行った埋め立て承認の撤回に向けた手続きを始めると表明していました。

翁長知事は、ことし4月にすい臓がんの手術を受け治療を続けていましたが、先月30日に入院し、その後急速に体調が悪化して8日、亡くなりました。

翁長知事の死去を受けて、職務代理者が県の選挙管理委員会に死去を通知した翌日から50日以内に、県知事選挙が行われることになります。


8月8日NHKニュースウオッチ9




8月8日 琉球新報
翁長雄志知事が死去 67歳

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沖縄県の翁長雄志知事が8日午後6時43分、入院先の浦添総合病院で死去した。67歳。4月に膵臓がんの手術を受け、治療を続けていた。

辺野古新基地建設の阻止を最大の公約に掲げ、歴代の知事の中でも高い県民支持率を背景に、米軍普天間飛行場の辺野古移設を推し進める国と鋭く対立してきた。


8月8日 沖縄タイムス
沖縄県の翁長雄志知事が死去 最後まで辺野古新基地反対貫く 67歳、膵臓がん

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沖縄県知事の翁長雄志氏が8日午後7時までに、膵臓(すいぞう)がんのため入院中の浦添総合病院で死去したことが分かった。67歳だった。米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設への反対を訴え、2014年の県知事選で初当選。新基地建設反対を最後まで貫いた。
 
翁長知事の任期満了に伴う知事選は11月告示、11月18日の投開票が決まっていたが、死去により9月にも知事選が実施される。
 
翁長知事は膵臓がんの手術を受け、治療を続けていたが、病状の回復のめどがたたず、7月30日に再入院していた。関係者によると意識混濁の状況になっていた。県は8日、謝花喜一郎副知事を職務代理とする方針を発表した。
 
翁長知事は7月27日に名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立て承認について、「公益に適合しない」などの理由で撤回すると表明。同31日に沖縄防衛局の言い分を聞くための聴聞通知書を県が防衛局へ送ったが、その際には登庁していなかった。
 
辺野古新基地問題で政府と激しく対峙(たいじ)してきた翁長知事の死去で、基地問題の行方や知事選を含めた県内政局が一気に加速する。
 
翁長知事は4月25日に膵臓がんの手術を受け、5月15日に退院。ステージ2のがんだったと公表し、復帰後も公務を制限していた。6月県議会本会議の代表、一般の両質問の全日程に出席。一般質問の初日では治療を理由に欠席を申し出たが、野党会派が反発し、日程を変更し、知事が出席した。
 
翁長知事を支える県議会与党会派などは11月18日投開票の知事選で、翁長氏の二期目の出馬を前提に協議を進めており、影響は必至だ。
 
1950年生まれ、那覇市出身。85年に那覇市議に初当選し2期務め、県議(2期)、2000年から那覇市長を4期14年務めた。


翁長さんを偲んで

「県知事選挙を前に」2014年11月1日
菅原文太さんが応援弁士、11月1日那覇セルラースタジアム「必勝! オナガ雄志 うまんちゅ一万人集会」に14,800名が参加
https://youtu.be/4xb9ns5yV-I




「宮古島市長選挙応援」2017年1月18日
1月18日サンエー前、翁長知事とオクヒラ一夫市長候補
https://youtu.be/vDIL40ZBXxA




「石垣市長選挙応援」2018年3月3日
「宮良みさお・花谷シロー必勝」3月3日、翁長知事が石垣島へ応援に
https://youtu.be/w8PeXaQU0Xo

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Author:ryukyuheiwa



「平和な島に自衛隊・米軍はいらない!」

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奄美・与那国・宮古・石垣への自衛隊の配備に反対します。


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2015年2月27日「下地島空港を軍事利用しないよう求める」県庁前集会


全国の闘う仲間にお笑いを! 「伝説の闘うエンターテイナー」
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伝説の闘うエンターテイナー」ぶつはらゆきお
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稲川宏二さん 与那国島からの報告2016年「宮古島・石垣島の自衛隊配備を止めよう!3・30東京集会」で


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平和を創り出す宮古ネット通信
http://blog.goo.ne.jp/tukurutuusin



「バンタ ドゥナンチマ カティラリヌン!」
与那国島の明るい未来を願うイソバの会+与那国島の自衛隊誘致に反対する住民の会
http://isobanokai.ti-da.net/



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http://loveishigaki.jp/




石垣島「市民連絡会」チラシ5号

石垣市民連絡会5号チラシ表
石垣市民連絡会5号チラシ裏

石垣島「住民の会」のチラシ4号

石垣住民の会チラシ4号01
石垣住民の会チラシ4号02


石垣島「住民連絡会」のチラシ2号

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ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会のチラシ

宮古軍事化チラシ裏
宮古軍事化チラシ
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3.19宮古島はどうなる?講演会実行委員会のチラシ

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宮古島平和運動連絡協議会のチラシ

0812チラシ表

0812チラシ裏