宮古島への自衛隊(+米軍)配備をめぐる闘いの記録と資料です。ぜひご覧ください!(2019年4月22日改定)
- 2019/04/22
- 13:58
宮古島より:
宮古島における反軍反基地の闘い2010~2019年 (2019年4月22日改定)










再掲:
「消えた自衛隊誘致」
今から11年前の2005年3月、宮古島・伊良部島の島民が決起
町議会の「自衛隊誘致」決議を覆した「伝説の島民動乱」の記録。
報道特集「巨大滑走路にゆれる島」 2014年11月29日
*以下のホームページでファイル閲覧・ダウンロード出来ます。
https://teyata1948.wixsite.com/heiwa
008 宮古島・重層する被支配の歴史(改)
009 追体験・宮古島1945~1972
010 国策に翻弄される沖縄・宮古「下地島空港」
宮古島の闘いの歩み20年を語るにあたって
宮古島の軍事化に抗する運動 清水早子(ピースアクション宮古島)
1 宮古島ってどんなところ?
北緯24度50分・東経125度10分 大阪から1500~1600km
那覇から300km 沖縄島と石垣島の中間 人口55000人
宮古島諸島…伊良部島(下地島)・池間島・来間島・大神島・多良間島・水納島
産業は農業(サトウキビ、タバコ、マンゴー)・畜産・漁業・観光
歴史については
1609年薩摩藩の琉球侵略以降、悪名高い人頭税(1600年代半ば~1902年)
廃藩置県の後まで、廃止と同時に徴兵制 日露戦争1904(満州へ出兵、多くが死亡)
1879年当時の前米国大統領グラントの仲介で明治政府は、宮古・八重山を清国領と
する分島案=琉球条約が妥結 調印されず1881年に流れた
日清戦争、清の敗北後、琉球条約が消えるまでの間には、琉球の清国派の「清への復帰運動」があった
太平洋戦争中 3万人の陸海軍 島内に「慰安所」(現在判明17箇所)
1945.9.7先島群島日本軍司令官納見敏郎 降伏文書に調印し沖縄戦は公式に終了 12.13に宮古で自決
上野村野原岳に日本軍司令部→米軍レーダー基地→空自通信基地
2 下地島空港軍事利用に反対する運動約40年 1968~2005
下地島空港って?
3000mの滑走路 双方向からの離発着 成田空港以上の航空管制機能
1968 計画
1969 村議会で誘致を決議 復帰運動と相まって反対運動激化 殺人事件に至るほど島民を二分
1971 屋良主席と運輸大臣間で「覚書」「琉球政府に所有管理・民間航空訓練場」
1973 非公共用として建設→後に管制業務や気象業務で圧力
1979 公共用(県管理の第3種空港)
1986~92 米軍機飛来
1995 沖縄島米兵による少女暴行事件 (宮古に移住)
2001 伊良部町議会の訓練誘致 米国シンクタンクランド研究所提言 米軍機飛来
2004 宮古郡民大会2000名
2005 「伊良部の動乱」…直接民主主義の勝利!
3.16 誘致の緊急動議9:8
3.22 町議2名と民間研究機関日本戦略フォーラム(小幡光俊・長野俊郎)が同行し、当時の防衛庁へ要請
3.23 3,4時間で島の人口6500の過半数 直接団交18名の全町議
3 自衛隊新部隊配備計画 日米安保の変質 2005~2015 (別紙年表)
2015.10.20改訂
日米安保体制の変節と宮古島の軍事化の対照

宮古での反戦運動の振り返り(2000年~2010年)


南西諸島自衛隊基地化に抗する宮古島市民
清水早子(宮古平和運動連絡協議会)
日米安保体制のもとでの自衛隊の軍備計画である中期防衛力整備計画が、米国の新世界戦略の北東アジア重視に呼応して、この間、中国牽制のため南西諸島・島嶼防衛対応へとシフトして進められてきましたが、安倍第2次政権はさらに加速させています。中期防を廃止し、さらなる軍事強化を図ろうとしています。
国政の場でも、「原発再稼働・原子力村の復活」「TPP参加」「武器輸出三原則の緩和」「教科書検定の見直し」から「憲法改悪・国防軍創設」へと戦争前夜の社会の形成へとひた走っています。
日米軍の一体化が進み、自衛隊が米軍の肩代わりをし、日本社会をアメリカ型社会に変え、軍事・政治・経済あらゆる領域で、対米従属が進行していることや、安倍の野望である戦争できる「軍事国家」への道筋が敷かれていることを、この沖縄の地で私はひしひしと実感しています。
昨年、2012年には3月と12月の2回、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のロケット打ち上げに対応することを理由に、PAC3(地対空誘導弾パトリオット)が宮古島へ上陸しました。
MD(ミサイル防衛)システムのために6兆円、PAC3配備のために1兆円とも言われる税金が投入され、2013年度防衛関連費は11年ぶりに増加し、約4兆7000億円となりました。自衛隊を実に20年ぶりに22万8000人に増員する費用も考慮されています。
莫大な税金が投入され、作られ演出された尖閣や朝鮮半島の「危機」から「国民の生命と安全」を守るために、南西諸島に自衛隊基地を新設・強化し、レーダーを増強し、武装した戦闘部隊を配備するのだと言っていますが、その「国民」には、私たち沖縄県民、離島の島民たちは入っていないでしょう。
射程距離が20キロしかなく、命中精度の低いPAC3が発射されれば、その方が危険であると私たちは考えています。2回のPAC3配備は、実効性よりも「軍事訓練」であることがはっきりしていました。
昨年3月には、私たちは約1ヶ月間の「PAC3配備への抗議行動」を展開しました。さすがに防衛省は、日暮れ後の闇に紛れて、ミサイルに迷彩色のカバーを掛けて上陸させたものでしたが、
11月の衆議院選挙自民勝利後の12月には、白昼堂々、ミサイルへのカバーもなくPAC3は宮古島へ上陸して来ました。
3月には、軍服の自衛隊員が居座る市役所に直接、「市役所は防衛省の出先機関か!」と抗議に行きました。右傾化の社会状況に加勢され、2度目ともなると悪びれもせず、軍服で市内を歩く様を見ました。
抗する私たちは、仲間の死や病気や家族の介護など困難な環境にありましたが、年明けて1月中旬、宮古圏域にある「下地島空港に航空自衛隊のF15戦闘機を常駐を検討」というニュースに再び、立ち上がることを決めました。およそ1ヶ月しかない短い時間の中で、猛烈な準備を敢行しました。宮古島だけではなく、同様の配備計画の下に置かれている石垣島、与那国島との連携を求めて島外にも、また県外へも呼びかけ、若い皆さんのデザインやアイデアによるチラシ作り、集会内容の討議、労働者団体にも共闘を求め、「2・24かな愛すみゃーく宮古市民ピースアクション」を開催しました。
参加者は、沖縄辺野古から、石垣、与那国から、県外は大阪、京都、神奈川、東京からも駆けつけてくださって、150名の参加で盛会となりました。地元市民によるコンサート&手作り物品販売、リレートーク、平和アピール行進と盛りだくさんのイベントで、各々「島の軍事化に抗する思い」を表現しました。
コンサートでは、三線による宮古民謡から、ブラジル人女性歌手によるサンバや、和製ラップの元祖とも言える江戸時代民衆の世直しのリズム「ええじゃないか」の宮古版替え歌も登場、
「ええじゃないか♪宮古島、基地にしないでええじゃないか♪」とノリノリで手拍子も湧きました。若いママさんたちが手作りの物品販売し、あるいは舞台で歌ったり踊ったりする周りを、小さな子ども達が駆け回りました。
リレートークでは、辺野古で反基地を闘うおばぁや、与那国で自衛隊配備に反対して闘う「イソバの会」のメンバーや、石垣からも「住民の視点で教科書を選ぶ会・9条の会・島の未来を考える島民会議有志など」からメッセージを携えた参加者が、また全国各地からの参加者が、地元からは高校生代表からも、高齢の戦争体験者からも、子育て中のママさんからも、たくさんの「島の平和の危機を憂う発言とメッセージ」が語られました。
最後に、「…『沈黙は承認のしるし』ということわざがあります。黙っていたら基地に賛成だということになってしまいます。今こそ、私たちは島の平和な暮らしと子どもたちの命を守るために戦争は起こさないと声を上げましょう!歌ってもいい、踊ってもいい、叫んでもいい、静かに歩いてもいい、みんなで平和な暮らしを壊さないで。と表現しましょう!」と集会アピールの採択後、150名で市役所前まで市内をデモ行進し、市民にアピールしました。
米軍基地への闘いの連携は各地に生まれていますが、自衛隊基地への闘いは沖縄県内でも腰の引けているところがあります。今年3月24日には日米軍共催による横田基地運用開始が着手、米空軍と航空自衛隊の一体化はすでに始まっています。京都丹後市の空自分屯基地には米軍の高性能レーダーが、青森県つがる市の空自基地に続いて2基目が置かれることになりました。
宮古の空自分屯基地のレーダーも増強するための予算も付けられました。宮古の下地島空港にもレーダーを新設するとか、無人偵察機グローバルホークを置くという情報も流れました。中期防でも宮古・石垣に陸自「警備部隊」を配備するとなっています。自衛隊新基地の建設はそのまま、米軍の共同使用を意味しています。私たち宮古平和運動連絡協議会は、すべての基地化・軍事化に反対しています。
今回の「2・24愛(かな)す宮古(みゃーく)市民ピースアクション」の大きな意義と成果は、琉球弧の島々が自衛隊基地に反対して一堂に介し、手を繋いで1歩踏み出したことにあります。
南西諸島が次なる戦争の犠牲になるのだと状況は示しています。宮古島や与那国島がどこにあるかも知らない日本の多くの国民の無関心を背景に、南方の小さな島々が打ち棄てられようとしているのです。
4・28が近づいています。1952年発効したサンフランシスコ講話条約で打ち棄てられ、1972年まで米軍施政下にあった沖縄。その日を日本の「主権回復の日」として祝おうという日本政府のあからさまな圧政に抗して、宮古でも「『主権の日=沖縄屈辱の日』に抗して考える集い」を中央公民館・講座室にて行います。日本の津々浦々でも連帯の行動に立ち上がることを願って!
2013.4.12 記
関連記事:
2018/01/23
宮古島の被支配の歴史を知り、住民の闘いの歴史を学ぶ資料、ぜひご覧下さい!
http://ryukyuheiwa.blog.fc2.com/blog-entry-566.html
2016/03/01
宮古島への自衛隊配備をめぐる映像記録と資料。ぜひご覧ください!
http://ryukyuheiwa.blog.fc2.com/blog-entry-80.html
宮古島における反軍反基地の闘い2010~2019年 (2019年4月22日改定)










再掲:
「消えた自衛隊誘致」
今から11年前の2005年3月、宮古島・伊良部島の島民が決起
町議会の「自衛隊誘致」決議を覆した「伝説の島民動乱」の記録。
報道特集「巨大滑走路にゆれる島」 2014年11月29日
*以下のホームページでファイル閲覧・ダウンロード出来ます。
https://teyata1948.wixsite.com/heiwa
008 宮古島・重層する被支配の歴史(改)
009 追体験・宮古島1945~1972
010 国策に翻弄される沖縄・宮古「下地島空港」
宮古島の闘いの歩み20年を語るにあたって
宮古島の軍事化に抗する運動 清水早子(ピースアクション宮古島)
1 宮古島ってどんなところ?
北緯24度50分・東経125度10分 大阪から1500~1600km
那覇から300km 沖縄島と石垣島の中間 人口55000人
宮古島諸島…伊良部島(下地島)・池間島・来間島・大神島・多良間島・水納島
産業は農業(サトウキビ、タバコ、マンゴー)・畜産・漁業・観光
歴史については
1609年薩摩藩の琉球侵略以降、悪名高い人頭税(1600年代半ば~1902年)
廃藩置県の後まで、廃止と同時に徴兵制 日露戦争1904(満州へ出兵、多くが死亡)
1879年当時の前米国大統領グラントの仲介で明治政府は、宮古・八重山を清国領と
する分島案=琉球条約が妥結 調印されず1881年に流れた
日清戦争、清の敗北後、琉球条約が消えるまでの間には、琉球の清国派の「清への復帰運動」があった
太平洋戦争中 3万人の陸海軍 島内に「慰安所」(現在判明17箇所)
1945.9.7先島群島日本軍司令官納見敏郎 降伏文書に調印し沖縄戦は公式に終了 12.13に宮古で自決
上野村野原岳に日本軍司令部→米軍レーダー基地→空自通信基地
2 下地島空港軍事利用に反対する運動約40年 1968~2005
下地島空港って?
3000mの滑走路 双方向からの離発着 成田空港以上の航空管制機能
1968 計画
1969 村議会で誘致を決議 復帰運動と相まって反対運動激化 殺人事件に至るほど島民を二分
1971 屋良主席と運輸大臣間で「覚書」「琉球政府に所有管理・民間航空訓練場」
1973 非公共用として建設→後に管制業務や気象業務で圧力
1979 公共用(県管理の第3種空港)
1986~92 米軍機飛来
1995 沖縄島米兵による少女暴行事件 (宮古に移住)
2001 伊良部町議会の訓練誘致 米国シンクタンクランド研究所提言 米軍機飛来
2004 宮古郡民大会2000名
2005 「伊良部の動乱」…直接民主主義の勝利!
3.16 誘致の緊急動議9:8
3.22 町議2名と民間研究機関日本戦略フォーラム(小幡光俊・長野俊郎)が同行し、当時の防衛庁へ要請
3.23 3,4時間で島の人口6500の過半数 直接団交18名の全町議
3 自衛隊新部隊配備計画 日米安保の変質 2005~2015 (別紙年表)
2015.10.20改訂
日米安保体制の変節と宮古島の軍事化の対照

宮古での反戦運動の振り返り(2000年~2010年)


南西諸島自衛隊基地化に抗する宮古島市民
清水早子(宮古平和運動連絡協議会)
日米安保体制のもとでの自衛隊の軍備計画である中期防衛力整備計画が、米国の新世界戦略の北東アジア重視に呼応して、この間、中国牽制のため南西諸島・島嶼防衛対応へとシフトして進められてきましたが、安倍第2次政権はさらに加速させています。中期防を廃止し、さらなる軍事強化を図ろうとしています。
国政の場でも、「原発再稼働・原子力村の復活」「TPP参加」「武器輸出三原則の緩和」「教科書検定の見直し」から「憲法改悪・国防軍創設」へと戦争前夜の社会の形成へとひた走っています。
日米軍の一体化が進み、自衛隊が米軍の肩代わりをし、日本社会をアメリカ型社会に変え、軍事・政治・経済あらゆる領域で、対米従属が進行していることや、安倍の野望である戦争できる「軍事国家」への道筋が敷かれていることを、この沖縄の地で私はひしひしと実感しています。
昨年、2012年には3月と12月の2回、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のロケット打ち上げに対応することを理由に、PAC3(地対空誘導弾パトリオット)が宮古島へ上陸しました。
MD(ミサイル防衛)システムのために6兆円、PAC3配備のために1兆円とも言われる税金が投入され、2013年度防衛関連費は11年ぶりに増加し、約4兆7000億円となりました。自衛隊を実に20年ぶりに22万8000人に増員する費用も考慮されています。
莫大な税金が投入され、作られ演出された尖閣や朝鮮半島の「危機」から「国民の生命と安全」を守るために、南西諸島に自衛隊基地を新設・強化し、レーダーを増強し、武装した戦闘部隊を配備するのだと言っていますが、その「国民」には、私たち沖縄県民、離島の島民たちは入っていないでしょう。
射程距離が20キロしかなく、命中精度の低いPAC3が発射されれば、その方が危険であると私たちは考えています。2回のPAC3配備は、実効性よりも「軍事訓練」であることがはっきりしていました。
昨年3月には、私たちは約1ヶ月間の「PAC3配備への抗議行動」を展開しました。さすがに防衛省は、日暮れ後の闇に紛れて、ミサイルに迷彩色のカバーを掛けて上陸させたものでしたが、
11月の衆議院選挙自民勝利後の12月には、白昼堂々、ミサイルへのカバーもなくPAC3は宮古島へ上陸して来ました。
3月には、軍服の自衛隊員が居座る市役所に直接、「市役所は防衛省の出先機関か!」と抗議に行きました。右傾化の社会状況に加勢され、2度目ともなると悪びれもせず、軍服で市内を歩く様を見ました。
抗する私たちは、仲間の死や病気や家族の介護など困難な環境にありましたが、年明けて1月中旬、宮古圏域にある「下地島空港に航空自衛隊のF15戦闘機を常駐を検討」というニュースに再び、立ち上がることを決めました。およそ1ヶ月しかない短い時間の中で、猛烈な準備を敢行しました。宮古島だけではなく、同様の配備計画の下に置かれている石垣島、与那国島との連携を求めて島外にも、また県外へも呼びかけ、若い皆さんのデザインやアイデアによるチラシ作り、集会内容の討議、労働者団体にも共闘を求め、「2・24かな愛すみゃーく宮古市民ピースアクション」を開催しました。
参加者は、沖縄辺野古から、石垣、与那国から、県外は大阪、京都、神奈川、東京からも駆けつけてくださって、150名の参加で盛会となりました。地元市民によるコンサート&手作り物品販売、リレートーク、平和アピール行進と盛りだくさんのイベントで、各々「島の軍事化に抗する思い」を表現しました。
コンサートでは、三線による宮古民謡から、ブラジル人女性歌手によるサンバや、和製ラップの元祖とも言える江戸時代民衆の世直しのリズム「ええじゃないか」の宮古版替え歌も登場、
「ええじゃないか♪宮古島、基地にしないでええじゃないか♪」とノリノリで手拍子も湧きました。若いママさんたちが手作りの物品販売し、あるいは舞台で歌ったり踊ったりする周りを、小さな子ども達が駆け回りました。
リレートークでは、辺野古で反基地を闘うおばぁや、与那国で自衛隊配備に反対して闘う「イソバの会」のメンバーや、石垣からも「住民の視点で教科書を選ぶ会・9条の会・島の未来を考える島民会議有志など」からメッセージを携えた参加者が、また全国各地からの参加者が、地元からは高校生代表からも、高齢の戦争体験者からも、子育て中のママさんからも、たくさんの「島の平和の危機を憂う発言とメッセージ」が語られました。
最後に、「…『沈黙は承認のしるし』ということわざがあります。黙っていたら基地に賛成だということになってしまいます。今こそ、私たちは島の平和な暮らしと子どもたちの命を守るために戦争は起こさないと声を上げましょう!歌ってもいい、踊ってもいい、叫んでもいい、静かに歩いてもいい、みんなで平和な暮らしを壊さないで。と表現しましょう!」と集会アピールの採択後、150名で市役所前まで市内をデモ行進し、市民にアピールしました。
米軍基地への闘いの連携は各地に生まれていますが、自衛隊基地への闘いは沖縄県内でも腰の引けているところがあります。今年3月24日には日米軍共催による横田基地運用開始が着手、米空軍と航空自衛隊の一体化はすでに始まっています。京都丹後市の空自分屯基地には米軍の高性能レーダーが、青森県つがる市の空自基地に続いて2基目が置かれることになりました。
宮古の空自分屯基地のレーダーも増強するための予算も付けられました。宮古の下地島空港にもレーダーを新設するとか、無人偵察機グローバルホークを置くという情報も流れました。中期防でも宮古・石垣に陸自「警備部隊」を配備するとなっています。自衛隊新基地の建設はそのまま、米軍の共同使用を意味しています。私たち宮古平和運動連絡協議会は、すべての基地化・軍事化に反対しています。
今回の「2・24愛(かな)す宮古(みゃーく)市民ピースアクション」の大きな意義と成果は、琉球弧の島々が自衛隊基地に反対して一堂に介し、手を繋いで1歩踏み出したことにあります。
南西諸島が次なる戦争の犠牲になるのだと状況は示しています。宮古島や与那国島がどこにあるかも知らない日本の多くの国民の無関心を背景に、南方の小さな島々が打ち棄てられようとしているのです。
4・28が近づいています。1952年発効したサンフランシスコ講話条約で打ち棄てられ、1972年まで米軍施政下にあった沖縄。その日を日本の「主権回復の日」として祝おうという日本政府のあからさまな圧政に抗して、宮古でも「『主権の日=沖縄屈辱の日』に抗して考える集い」を中央公民館・講座室にて行います。日本の津々浦々でも連帯の行動に立ち上がることを願って!
2013.4.12 記
関連記事:
2018/01/23
宮古島の被支配の歴史を知り、住民の闘いの歴史を学ぶ資料、ぜひご覧下さい!
http://ryukyuheiwa.blog.fc2.com/blog-entry-566.html
2016/03/01
宮古島への自衛隊配備をめぐる映像記録と資料。ぜひご覧ください!
http://ryukyuheiwa.blog.fc2.com/blog-entry-80.html
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